社会福祉法人 金沢市民生協会について
社会福祉法人金沢市民生協会は金沢市の民生委員児童委員等が運営している法人です。
1918年(大正7年)に大阪市で制定された方面委員(現民生委員)制度は1922年(大正11年)、石川県にも制度が設けられました。
金沢市の方面委員は同年に起きた犀川と浅野川の大洪水等の被災者への救護活動を行うとともに、方面委員の本来の業務とされた地域内の社会調査も実施していました。その結果生活困窮者への公的救済制度の必要性と「救護法」の早期制定を各地の方面委員と連帯して政府への請願活動を展開する一方で、積極的に社会事業施設運営に乗り出します。
金沢市は家族に精神病者をもつ篤志家から精神病者の困窮状況を打開する施設開設を条件とした指定寄附を受け、1929年(昭和4年)、市からの委託事業を行う団体として金沢市方面委員助成会が設立され会長に金沢市長が就任しました。その後、1931年(昭和6年)に鈴見保護所を設け、精神病者10名、行路病者3名を受け入れて保護事業を開始し、今日の社会福祉法人金沢市民生協会の活動がスタートしました。
1934年(昭和9年)には財団法人化し、翌年に「常盤町保護所」を小野慈善院跡地に開設。1947年(昭和22年)に「財団法人金沢市民生協会」と改称、1948年(昭和23年)に精神障がい者の医療(常盤園)、救護(第二常盤園)の両施設に区分し、第二常盤園を行路病者収容と無料宿泊施設として運営。1952年(昭和27年)に社会福祉法人化、その後、2000年(平成12年)に「常磐園」を「ときわ病院」に、「第二常磐園」を「三谷の里ときわ苑」にそれぞれ名称を変更し、現在に至ります。
また、現ときわ病院が野々市市に設置していることにより、協会運営には野々市市民生委員児童委員も参加しています。
現況報告
決算報告
令和5年度
令和4年度
令和3年度
定款及び役員報酬基準
役員報酬基準について
金沢市民生協会の役員の報酬については、定款第8条及び第21条に定めるとおり無報酬とする。
一般事業主行動計画